
スマホゲームを断ってから約10日が経過しました。 一度はカバンの奥深くにしまい込んだスマホやタブレットを、ここ数日、無意識のうちに取り出している自分がいます。正直に言いましょう。今、猛烈に挫折しそうです。
この「負けそうな自分」を客観視するために、過去の苦い経験から学んだ「挫折の4大パターン」を書き出してみます。
パターン1:意思が消失する「3時間坊主」
「もう二度とやらない!」と固く決意したはずなのに、数時間後には無意識にアプリを立ち上げている。これを私は「3時間坊主」と呼んでいます。 スマホやタブレットが生活の一部である以上、物理的な接触を完全に断つのは不可能です。決意が熱いうちはいいのですが、ふとした隙間に「いつもの癖」が入り込んでくる。まずはこの「最初の数時間」の壁が、依存の根深さを物語ります。
パターン2:「止める情熱」の賞味期限切れ
断ち始めの数日間は、「やめている自分」への高揚感で乗り切れます。しかし、1週間も経つと脳は「変わらない日常」を求め始めます。 非日常だった「禁ゲー」が日常に馴染んでくると、今度はそれをやらないことへのストレスが顔を出します。この「飽き」と「苛立ち」の時期こそ、ブログを書くなどして自分を鼓舞し続けなければならない正念場です。
パターン3:病気という名の「強制依存」
最大の敵は、インフルエンザやコロナなどの病気です。 高熱が引いて、体が少し動けるようになったけれど外出はできない……という療養期間。この空白の時間は、99%の確率でスマホやタブレットへ依存を招きます。外の世界と遮断された環境は、依存症にとって最も危険な「再発の温床」になります。
パターン4:ブログが続かない「三日坊主の連鎖」
私の夢は、ブログを継続し、本業以外で月に10万円を稼ぐことです。 その時間を作るためにゲームを辞めてみましたが、現実は甘くありませんでした。ゲームを辞めて空いたはずの時間を、NetflixやAmazon Prime、果てはタブレットでのエミュレーター遊びに費やしてしまう。 「ゲームを辞めただけ」では、努力の方向性が定まらないのです。数年前から、私はこの「時間だけはあるのに何も生み出せない」というループに苦しんできました。
まとめ:始めることと、止めることは「セット」である
今回の葛藤を通じて、一つの真理に辿り着きました。 「何かを始めるには、何かを止める必要がある。そしてその二つは、セットで考えなければならない」
私が挫折しそうになるのは、ゲームを「止めること」だけに意識が行き、その空いた時間で「何を生み出すか(生産的な行動)」が明確に定着していないからです。
「努力」という言葉を使っているうちは、まだどこかで苦しさを感じている証拠かもしれません。ですが、知恵を絞り、自分の手で何か(ブログ記事など)を生み出す快感が、ゲームの高揚感を超えなければ、この戦いには勝てません。
止めることと、始めること。このセットを血肉にするまでは、まだ苦しい時間が続くでしょう。でも、その苦しさこそが、自分が本当の自分に変わろうとしている産みの苦しみだと信じて、今日も筆を置きます。












