18歳未満の依存:欲では這い上がれない、無気力と現実逃避の罠

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人間は、どんなに強い「欲」があっても、それだけでは頑張れない生き物だ。

思い返すと、18歳までの私はずっと空想の世界に依存していた。 小さい頃からの顔のコンプレックス、そして学校でのいじめ。そんな過酷な現実から身を守るために、私はありとあらゆる「欲」を妄想の燃料にしていた。

人間を超越したスーパーマンのような「絶対的な強さ」への憧れ。 人生をひっくり返すようなアメリカのメガロトの「大金」。 そして、初恋に破れ、まだ剥けていない自分の身体への劣等感から逃げ込んだ、「アニメの女性の体」という性の目覚め。

これらは一見、現状を打破したい「欲」のように見える。しかし、その実態は違った。 私は欲を満たすために努力したわけではない。リアルな自分と向き合うことから必死に逃げ、絶対に自分を拒絶しない二次元や空想の世界に「依存」していただけだったのだ。

欲は、現実逃避の都合のいい動機にはなるが、必ずしも現実を変える原動力にはならない。 欲の果てにあるのは、現実とのギャップに絶望し、すべてを諦める「無気力」という名の、人生最大の敵だった。

過保護な親のもと、一人っ子として育った私には、自ら進んで試練を乗り越えるような「生きる力」は育っていなかった。いじめやコンプレックスという地獄の中にいながら、自力で這い上がるエネルギーなど湧くはずもなかった。

では、なぜ私はそのまま完全な引きこもりにならなかったのか。 なぜ、あの限界の状況で学校を辞めずに済んだのか。

私を現実に繋ぎ止めたのは、夢や欲なんかじゃない。 唯一、「危機感」だけだった。

「このままドロップアウトしたら、自分の人生は本当に終わってしまう」という恐怖。そして子供心に、「自分が学校に行かなくなったら、親がどれほど悲しい顔をするか」という、親の愛に対する切実な危機感。それだけが、私の心をギリギリのところで現実に踏みとどまらせた。

空想や妄想という「依存」に溺れ、無気力にすべてを諦めそうになる自分を、最後の最後で現実に目を向けさせ、学校へ向かわせたのは、剥き出しの危機感だけだったのだ。

人は、豊かな欲だけでは現実と戦えない。 18歳未満の私が溺れていた「空想への依存」を振り返るとき、私は思う。 あの傷だらけの時期、私を救ったのは綺麗な希望ではなく、泥臭い危機感という名の、最後の防衛本能だったのだと。

今日も人生というパチンコ台のハンドルを握って回す!

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