
数日前、「これだ」としっくりくる生き方を言葉にできたはずなのに、思い出せない。 50代、大切なことをふとした瞬間に忘れてしまう。けれど、その「思い出せない何か」の代わりに、今、私の心に深く居座っている言葉があります。
それは、「結局、すべてはバランスなのだ」という直感です。
1. 「正しさ」への偏りに対する違和感
今の世の中は、「ポジティブに生きろ」「善であれ」という一方的な方向に偏りすぎている気がします。でも、そんな価値観も、長い人類の歴史から見れば、ここ半世紀ほどの極端な流行に過ぎないのかもしれません。
かつての時代には、今では想像もできないような「悪」や「破壊」が溢れていたはずです。光があれば影があるように、この世のすべては「対(つい)」で成り立っています。 どちらか一方に極端に振れるのではなく、その中間に立ち、揺れながらバランスを取ること。それが生きるということの本質ではないでしょうか。
2. 「壊す」ことに求めた非現実の救い
かつて私は、強烈な誘惑と戦う中で、いっそ自分をすべて壊してしまいたいという衝動に駆られたことがありました。
「パチンコ貯金」をすべて解禁し、酒を飲み、ギャンブルに打ち、欲望のままに買う。 負ければ物に当たり、壊す。心も体もボロボロに傷つけながら、最後にお金が尽きて終わるならそれでいい。そんな、自分を破滅させていくことに「快感」を代用していた時期がありました。
セブンスターの煙とともに、現実を、心を、そして健康を壊して楽しんでいた「事実」が、確かにそこにはありました。
3. 封印から「生かされる」ステージへ
今の私は、その破壊衝動を「封印」しています。 お金を使い込み、心を壊しながら快楽へ溺れる自分。酒、精力、物、ギャンブル。かつて非現実の世界で自分を壊し尽くそうとしたからこそ、今の私はその「バランス」を取るために、必死に動いているのだと感じます。
「自分を壊して生きる」ことを封印し、今は「壊さず、生かされる」道を選んでいる。 かつて自腹を切って、非現実の中で自分を壊して楽しんだという「事実」は消えません。でも、物はいずれ壊れるものです。ならば、あえて自ら壊しに行く必要はない。
結論:今、この一瞬のバランスを
大切なのは、過去を否定することでも、無理にポジティブになることでもありません。 「壊して楽しんだ自分」も事実なら、「今、生かされている自分」もまた事実。その両端を知っているからこそ、今の私はその真ん中で、危ういバランスを保ちながら立っていられるのです。
やるべきことは、今、この一瞬を生きること。 過去に振り切った分だけ、今は逆の方向に丁寧に歩んでいく。 そんな不器用なバランス調整こそが、50代を生きる私の「しっくりくる生き方」なのかもしれません。
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