導入:その「何となく」を共有したい
何となく生きるのが辛い。 そう感じている方は多いと思います。でも、その「何となく」の正体を言葉にするのは難しいですよね。
私自身、長年その正体がわからず、無気力の波に飲み込まれてきました。同じような重荷を背負っている方に、「一人じゃない」と感じていただければと思い、私のたどり着いた考えを綴ります。。
1.子供の頃から感じていた「生きる怖さ」
一人っ子として、不自由なく幸せに育ててもらいました。しかし、物心ついた頃から、私の心には「生きるのが怖い」という感覚が居座っていました。
現実の何かに傷ついたわけでもないのに、いつも妄想の世界へ逃げ込む子供。親が何でも先回りして整えてくれたおかげで、私は「自分の力で生きる」という感覚を育めないまま大人になってしまったのかもしれません。
中学、高校と進んでも、努力も継続も知らず、自分を「能力が低い人間だ」と決めつける日々。自己責任の意識が欠如したまま、次第に心は無気力に支配されていきました。
2.親任せの人生と、引き換えに現れた「無気力」
親が「安心・安定」というレールを敷いてくれたおかげで、私の将来は早い段階で決まっていました。地元の安定した企業に就職するサラリーマン人生。
そのレールに乗ったことで、皮肉にも「生きる怖さ」は消えました。しかし、代わりに強烈な「無気力」が襲ってきたのです。17歳の頃には無気力と同時に片頭痛も始まり、私の心身は常に重だるい霧の中にありました。
3.依存と無気力のループ
社会人になり、私はパチンコに出会いました。それから21年間、私はそれを「生きがい」だと信じて依存し続けました。
今振り返れば、依存している時間以外はほとんどが無気力でした。飲み会や合コンなど、どんなに楽しい刺激があっても、翌日には恐ろしいほどの虚しさが襲ってくる。躁と鬱を繰り返すような、不安定な日々を過ごしていました。
4. 無気力を救った「生かされている」という視点
「能動的に生きよう」とすると、その重圧で辛くなる。 だから私は考え方を変えました。「自分が生きている」のではなく、「自分は生かされている」のだと。
なぜ、こんな無気力な自分が今日まで生きてこられたのか。そう考えた時、そこには自分の意志を超えた「得体の知れない力」や「宿命」のようなものが働いているとしか思えませんでした。そう認めた瞬間、ふっと心が軽くなったのです。
5. 生きづらさの根源は「選択肢の多さ」
無気力の沼を泳いできた私が気づいた、生きづらさの正体。 それは、「人生の選択肢があまりに多すぎること」です。
子供の頃に感じていた不安も、無意識に親に人生を委ねていたのも、すべては膨大な選択肢から逃げたかったからではないか。
- 人口の増加
- 国際社会の複雑化
- 多様すぎる生き方の推奨
- 「夢を持つべき」という同調圧力
溢れる情報と選択肢。これこそが現代の生きづらさの源です。 この正体を理解したとき、私は「どんな選択をしても後悔しないマインド」が必要なのだと確信しました。
(この続きは別記事で……)

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