何となく生きるのが辛い方多いと思います。ただこの何となくがわからないんだよね。共感できるかわからないけど、同じ気持ちを持った人がいるだけで少しは救われるのではと思い、私自身の考えを記事にしました。
生きるのが怖い
一人っ子の私は、特に不自由もなく幸せに暮らしてきました。ただ子供の頃からなんとなく生きるのが怖いという感じがありました。痛い目にも遭っていないのに現実逃避して妄想する子供だったと思います。親のせいにするつもりはないですが、なんでも親がやってくれましたから生きる力がなかったのかもしれません。中学、高校に進んでも、幼稚な妄想をする日々。自己責任の意識が低い 何をやっても人並み以下だったことから自分が能力の低いと勝手に決めつけて、たいした努力もせず継続なんて先の先で、次第に無気力な時期が多くなっていきます。
漠然とした不安、自分の人生を親まかせ
有難いことに親から安心、安定を求める生き方?の助言をしてくれたおかげで中学くらいから漠然と将来の生き方が定まっていた。高卒で地元の比較的安定した企業へ就職するサラリーマン人生。その結果、ある時から生きる怖さは消えたけど、その後無気力な状態が表れる。そう無気力は17歳くらいで発動、この頃片頭痛も発動でダブルの辛さ。
依存の反対は無気力?
独身であった私は、社会人となったと同時にパチンコに行きます。その後21年間の生きがいと信じてやり続けることになります。依存しました、依存してる時以外は無気力がほとんどです。パチンコに限らず、飲み会やコンパなど楽しいことがあった次の日非常に虚しくなり無気力になる。今考えると躁鬱?
無気力は最大の敵!
生きるという能動的な考えを持つと辛かったので生きてきたのではない、生かされてきた。
受け身で考えた。なんで私は生まれてきた?なんでここまで生きてこられた?そう思ったら、何か得体の知れない力が働いているとしか考えつかなかった。あとは宿命。そう思ったら、少し楽になった。
生きづらさの根源は何?
ということで無気力からわかった生きづらさの根源はとにかく
人生の選択肢が多いということだ。
私は子供頃から生きる怖さや、漠然とした不安はまさにそこだった。だから無意識に親に生き方を定めてもらっていたのではないか
- 人口増加
- 国際社会
- 生き方の多様性
- 夢を持つ大事さ
全てとにかく情報量が多く、選択肢が多いことが生きづらさの根源だ。
それが理解できたら、どんな選択でも後悔しないマインドが必要と思えるようになった。
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